category: 情報教育
DATE : 2007/04/24 (Tue)
DATE : 2007/04/24 (Tue)
ブログ活用学校新聞プロジェクト、産学共同で開始--情報リテラシー向上狙う
シックス・アパートと中央大学総合政策学部松野良一研究室は、小学生の情報リテラシー教育促進を目的とした「新聞ブログ・プロジェクト」を共同で開始する。
実際の取材活動を通じて小学生が記事を執筆し、新聞を制作する体験を通じて、世の中のニュースに関心を持ち、自分の目で真実を見極められるような教育支援を行うことが目的。同時に、PCやソフトウェアの理解、および操作の習熟を促進するのが狙い。
さらに、ブログの持つ更新の簡便さと双方向コミュニまたケーションの容易さを活用し、地域や父母との関係強化だけではなく、地域を越えた小学生同士のコミュニケーションの実現を目指す。
今回のプロジェクトの一環として、沖縄県の北谷町立浜川小学校、および南城市立大里北小学校において実証実験を実施。両校の生徒がソフトを活用し、実際に学校新聞を作成し、精神面およびスキル面の両面において、情報リテラシー教育の効果が得られたとしている。
これは単にパソコンを操作する事だけでは無く、実際に人と会話が必要な所が素晴らしい。
リアルなコミュニケーションとITスキルをバランスよく向上させる事が出来る。
ITはコミュニケーションを広げる為の、便利な道具に過ぎない。
また小学生の段階で実施する意義は大きい。
※CNET Japan 記事URL
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20346134,00.htm
シックス・アパートと中央大学総合政策学部松野良一研究室は、小学生の情報リテラシー教育促進を目的とした「新聞ブログ・プロジェクト」を共同で開始する。
実際の取材活動を通じて小学生が記事を執筆し、新聞を制作する体験を通じて、世の中のニュースに関心を持ち、自分の目で真実を見極められるような教育支援を行うことが目的。同時に、PCやソフトウェアの理解、および操作の習熟を促進するのが狙い。
さらに、ブログの持つ更新の簡便さと双方向コミュニまたケーションの容易さを活用し、地域や父母との関係強化だけではなく、地域を越えた小学生同士のコミュニケーションの実現を目指す。
今回のプロジェクトの一環として、沖縄県の北谷町立浜川小学校、および南城市立大里北小学校において実証実験を実施。両校の生徒がソフトを活用し、実際に学校新聞を作成し、精神面およびスキル面の両面において、情報リテラシー教育の効果が得られたとしている。
これは単にパソコンを操作する事だけでは無く、実際に人と会話が必要な所が素晴らしい。
リアルなコミュニケーションとITスキルをバランスよく向上させる事が出来る。
ITはコミュニケーションを広げる為の、便利な道具に過ぎない。
また小学生の段階で実施する意義は大きい。
※CNET Japan 記事URL
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20346134,00.htm
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category: 情報教育
DATE : 2007/04/24 (Tue)
DATE : 2007/04/24 (Tue)
深く考えさせられる物があったので、転載します。
社会の基礎・常識として、InformationTechnologyを学ぶことは、今や基本的教養となりつつあります。
社会の基礎を身につけるのが義務教育下の学校であるならば、本来的には小中学校で学ばなければならないことなのかもしれません。
しかし、それ以前に学ぶべきこともたくさんあり、物理的に不可能です。
教育の分担化は、錯綜する社会の中では最早無理。
大人が子供に対して、全ての責任を引き受け、それぞれの能力を補完し合わなければ、膨大になっていく課題には対処しきれません。
単独の機能が働くには、複雑に入り組んだ社会。
個人は、他人のテリトリーの隙間にしか、手足を伸ばせなくなっている程限りなく接着しているのかもしれません。
そこに生ずる問題においても然りです。
その考察を進めていけば、新たな課題としてのこの分野の教育を、地域が担うのも理にかなったことだと思われます。
見える結果の違いこそあれ、教育を、産業と置き換えても、生活と置き換えても核に部分は同じことでしょう。
その意味において、既存のテリトリーに囚われるのは、愚の骨頂。
現実無視、あるいは現実無知。
貴殿の提唱する事は、未だ手足を伸ばささず仕舞いになっている、自由の空間を知らしめることに他ならない。
これからは、ファンクションに目的を配分する(郵便の仕分け方式)のではなく、目的にファンクションをはめ込んでいく(ジグソーパズル方式)やり方が有益なのではないでしょうか。
社会の基礎・常識として、InformationTechnologyを学ぶことは、今や基本的教養となりつつあります。
社会の基礎を身につけるのが義務教育下の学校であるならば、本来的には小中学校で学ばなければならないことなのかもしれません。
しかし、それ以前に学ぶべきこともたくさんあり、物理的に不可能です。
教育の分担化は、錯綜する社会の中では最早無理。
大人が子供に対して、全ての責任を引き受け、それぞれの能力を補完し合わなければ、膨大になっていく課題には対処しきれません。
単独の機能が働くには、複雑に入り組んだ社会。
個人は、他人のテリトリーの隙間にしか、手足を伸ばせなくなっている程限りなく接着しているのかもしれません。
そこに生ずる問題においても然りです。
その考察を進めていけば、新たな課題としてのこの分野の教育を、地域が担うのも理にかなったことだと思われます。
見える結果の違いこそあれ、教育を、産業と置き換えても、生活と置き換えても核に部分は同じことでしょう。
その意味において、既存のテリトリーに囚われるのは、愚の骨頂。
現実無視、あるいは現実無知。
貴殿の提唱する事は、未だ手足を伸ばささず仕舞いになっている、自由の空間を知らしめることに他ならない。
これからは、ファンクションに目的を配分する(郵便の仕分け方式)のではなく、目的にファンクションをはめ込んでいく(ジグソーパズル方式)やり方が有益なのではないでしょうか。
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